最近、日本の南北朝物の小説を読んでいます(ブックオフで買った100円の物が多い)
北方謙三の武王の門覇軍の星、とか、杉本苑子の風の群像とか。

南北朝屈指の名将といえば北畠顕家
詳しいことはwikiとか見てもらえばわかるとおもうんですけど。

北畠顕家って京都の公家が陸奥守になって、多賀城に来て、戦争のために京都に進軍して足利尊氏を破って、また多賀城に戻って、足利尊氏が九州から進軍して南朝軍を破って、(この間に福島県の霊山城に国府を移す)それに対抗するために北畠顕家が上洛して、結局破れて討ち死にするんですけど・・・。 

あれ、っと思ったのが、北畠顕家は福島県の霊山城にいるより、宮城県の多賀城に居るほう(正確には国府を置いておいた期間)が長くない?

で、ネットで調べてみた所。

北畠顕家が京都から多賀城に来たのが
元弘3年(1333) 10月2日(11月9日)顕家 義良親王を伴い多賀城へ

多賀城から霊山城に国府を移したのが

で、討ち死にしたのが
延元3/暦応元年(1338) 5月22日(6月10日) 顕家 高師直と和泉堺浦及び石津で戦い、敗死
 南部師行、名和義高らがこれに殉じる

やっぱり、北畠顕家は多賀城に居たのが3年近く、霊山城に移ってから1年半ぐらいでに討ち死にしてます。

結局何が言いたいのか言うと、北畠顕家って宮城の名物にしても良いんじゃない?って事です。
別に福島県から北畠顕家を取れ、って言っているわけではないですよ。
宮城といえば、伊達政宗とその家臣しか有名人が居ないって言うのも寂しい・・・。


まあ、暇つぶしに考えただけのことなんで気にしなくていいか。

 
宮城県の有名武将といえば、北畠顕家(京都出身)、伊達政宗(山形県米沢市出身)、大崎氏(斯波氏)葛西氏の初代は関東出身?、もしかしなくても宮城県出身の(有名)武将って少ないよね。

まあ、どうでもいいけど。